南方熊楠に関するアート。
鷹楠です。
決めたことがあります。
私の職業の中で、一番、南方熊楠に詳しい人になる。
その根底にあるのは、生半可な気持ちでアート作品を作らない、という決心です。
南方熊楠の研究者にとって、やはり自分の研究対象を、
中途半端な形で利用されるのは、よい気持ちはしないでしょう。
きっかけは、このセミナー。
偉人?巨人?超人? 南方熊楠はどのように語られてきたか | 青山ブックセンター
世の中には、南方熊楠をテーマにしてアート作品をつくっているひとたちがたくさんいるんですね。
私も、その一人になりたいです。ただ、やるからには、ただのネタにするのではなく、覚悟してやります。
特に、アーティストの方々は、南方曼荼羅に関心が強いということで、私もそこにとても関心を持っていたので、共感できて嬉しいとともに、誰しも考えるよなあ・・・と不甲斐なく感じました。
そもそも、この世界観、理解できている人はいるのだろうか。
文字では表現できない世界なのだと思います。
まずは、勉強します。
研究者の方によると、下記の本が、読みやすくて良いとのこと。さっそくアマゾンでポチりました。
南方熊楠の生涯 単行本 – 1994/5 仁科 悟朗
https://www.amazon.co.jp/dp/4404021070
読みやすさで言ったら、下記もおすすめとのこと。
南方熊楠―森羅万象に挑んだ巨人 (別冊太陽 日本のこころ 192) 大型本 – 2012/1/19 中瀬 喜陽
https://www.amazon.co.jp/dp/4582921922
そういえば、下記の本、熊楠の小説ですが、読んでないと思っていたら、過去に読んでました。読んだものについて、小説かどうかすら忘れてしまうとは・・・。読み方、変えたほうがいいかもしれない。
縛られた巨人―南方熊楠の生涯 (新潮文庫) 文庫 – 1991/12/24 神坂 次郎
https://www.amazon.co.jp/dp/410120912X
知らないことだらけで不甲斐ないですが、頑張ります。
では。
柳田國男と南方熊楠 セミナー聴講
鷹楠です。
「柳田國男と南方熊楠 ~2 人が築いた民俗学の道しるべ。」というセミナーを聴講しました。
好きな偉人は誰かと聞かれたら、迷わず「南方熊楠」と答える鷹楠です。私のハンドルネームの由来でもあります。
ご存じ無い方のために念のため説明すると、南方 熊楠(みなかた くまぐす)は、明治を生きた 生物学者・民俗学者・博物学者・思想家・エコロジストです。
「日本人の可能性の極限」と呼ばれた人で、その生き様・思想・能力・業績は凄まじいです。明治の時代に、西洋の研究者と対等に肩を並べて、科学雑誌『ネイチャー』に50報、『ノーツ・アンド・クエリーズ』に323報の論文が掲載されています。それだけでもう、信じられないくらい凄い。
『ネイチャー』に論文が掲載されるというのは、科学者の夢であり、1報掲載されるだけでたいへんな偉業です。それが50報・・・。もちろん、いまとは掲載基準が違うと思いますが、当時も今も、これだけの論文が掲載された東洋人はいません。
熱心な菌類学者でもあり、収集した標本は6000点を超えます。新種を10種も見つけています。
また、当時としてはまったく新しい概念であるエコロジーについて提唱し、自然を壊す悪因となる神社合祀への反対運動を発起し、何年も根強く続けました。
民俗学の父・柳田國男や、近代日本仏教史を代表する仏教学者・僧侶の土宜法龍などと大量に書簡をやり取りしており、幅広い分野に貢献しています。
まさに、日本人のヒーロー的な人物なわけです。
さて、何の話だったっけ・・・
あ、そうだ。うん、その彼が、もうすぐ生誕150年ということで、青山ブックセンターではここ半年ほど、南方熊楠関連セミナーを開催しています。
熊楠研究者の田村義也さんをはじめとして、これまで、詩人の吉増剛造さん、編集者の都築響一さん、熊楠研究者の中沢新一さん、漫画家の辛酸なめ子さんなどを交えた、魅力たっぷりのセミナーが開催されました。
そして今回は、柳田國男研究者との対談。
ちょうどいま、千葉の国立歴史民俗博物館(略してレキハクというらしい)で、「柳田國男と考古学」という特別展をやっているらしいです。2016/10/10まで。
なんでも、柳田國男は実は考古学に関心があり(熊楠に対してとても批判的なことを書いたりしていたけど)、収集物もあったとのこと。どんな特別展なのか気になる。
第4展示室 特集展示 「柳田國男と考古学」|プレスリリース|歴博の活動|国立歴史民俗博物館
今回のセミナーの内容は、柳田國男および南方熊楠という人物のわかりやすい説明と、二人がどのように接して、意見交換し、お互いの考えを深めていったのかという考察でした。
この対談を聴講して、柳田國男がつくった民俗学という学問について理解が深まりました。
民俗学というと、「お祭りの研究」や「妖怪の研究」といったイメージが強いかもしれませんが、柳田國男が考える民俗学の根底には、次のような想いがあったとのことです。
「普通の人が、普通に働いて、考えて、生きてきた様を観察することで、人間について明らかにする。」
人を理解することが、民俗学の目的なんですね。なるほど。
歴史の表舞台にでてこない、庶民の文化と歴史を理解するためには、文献に残っていないことを調べる必要あります。そのために、例えばお祭りのしきたりや踊りを注意深く観察したり、「カッパ伝説」などの伝承されている昔話を掘り起こすことが重要になるというわけです。
熊楠と柳田の出会いは、熊楠が書いた、山の神に魚のお供えをする慣習についての掲載記事(?)を柳田がみつけたことがはじまりのようです。柳田は、自分も同じことについて以前報告したことがあるという内容とともに、山に住む人についての知見を、熊楠に手紙で求め、そこから書簡のやり取りがはじまっています。
熊楠と柳田はだいぶ考え方の違いがあったようですが、その裏には、柳田が官僚という立場であったことも影響しているみたいでした。
今回、セミナーの中でいくつか書籍が紹介されました。下記のものが気になっています。「ノーツ・アンド・クエリーズ」に掲載された熊楠論文の日本語訳!素晴らしい。ただ、もう少し値段が安ければ・・・><
あとこれ。 岡 茂雄 著「本屋風情」(中公文庫) 。
https://www.amazon.co.jp/dp/4122050332
柳田がみつけた、熊楠の報告。
・「山神オコゼ魚を好むと云う事」
『南方随筆』(沖積舎) 、『南方熊楠コレクション〈第2巻〉南方民俗学』 (河出文庫) に収録。
こんなサイトが! オコゼ:山神オコゼ魚を好むと云う事(口語訳1):南方熊楠の随筆
特別展「柳田國男と考古学」については、本も出ているようです。読んでみようかな。
・・・まとまりがないですが、結構長くなってしまったので、今回はこれまで。
九頭龍神社 月次祭に参加しました。
第18回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展みてきました。
鷹楠です。第18回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展@国立新美術館をみてきたので、所感メモ。
アート部門、エンターテイメント部門、アニメーション部門、マンガ部門、功労賞という部門がある。
アート部門って何だ・・・というツッコミはさておき・・・
一番驚いたのは、アート部門の大賞の「50 . Shades of Grey」。
まさかの、プログラミングコード(を紙に印刷したもの)。この発想はなかった。灰色のグラデーションを出力するコードを、コンパクトな6つの言語で書かれている。「コンピュータ技術の進化と陳腐化の歴史」が表現されているらしい。BASICからはじまり、名前を聞いたことがない言語もある。たしかに、コンピュータ技術はものすごいスピードで移り変わってきたことを感じさせる。最近のWeb系とか特にね・・・。
50 . Shades of Grey | 第19回文化庁メディア芸術祭
手法の多様性に関心したのは、「Spin」「group_inou 「EYE」」。アイデア次第って感じ。
group_inou 「EYE」 | 第19回文化庁メディア芸術祭
「Voyage de Hokusai (北斎の旅) 」。自由すぎる作品。心が開放された気分。
Voyage de Hokusai (北斎の旅) | 第19回文化庁メディア芸術祭
「Communication with the Future – The Petroglyphomat」。消えてしまった太古の「情報」も、きっとあっただろうな。
Communication with the Future – The Petroglyphomat | 第19回文化庁メディア芸術祭
「Chulyen, a Crow’s tale」。なんだか印象が強すぎて、2回もみてしまった。
Chulyen, a Crow’s tale | 第19回文化庁メディア芸術祭
駆け足だけど、このへんで。
14日までなので、みに行く方は今週末に。
では。
『アート・スピリット』(ロバート・ヘンライ著) を読みました。
鷹楠です。
村上隆さんのトークイベントに参加後、アート領域への関心がますます高まり、「いわゆるアート分野のバイブル本ってなんだろう?」と思い、いろいろ調べました。
すると、どうやら80年以上に渡ってアメリカの若き芸術家たちによって読み継がれている本があるらしい。
ということで、ロバート・ヘンライという人が書いた『アート・スピリット』という本を読んでみました。
感想:
- 意欲を掻き立てられる熱いメッセージが詰まっている!これは確かにバイブル。しかも、分野はアートに限らない。というか、アートはあらゆる分野から繋がっているんだなあ。
- 一貫して主張しているのが、芸術作品は表現したいことがあっての「ひとつの結果」であって、それが目的ではないということ。生きていく過程での中間生成物とでも言うべきか。技術は必要だけれどもそれは目的ではない。…何にでも言えることですね。耳が痛い。
- たとえ世間に認められなくても、自分の表現したいことを貫け、と。これは、岡本太郎も同じことを言っている(ただ、両者とも認められているけど。笑)。「アートはビジネス」とは対照的。しかし、生きるためには生活を考えないといけないから、難しいですね。…とか言ってる時点で覚悟がないということかな。
- 赤毛好きで、結婚の理由もそれ、というのが…潔いというか正直というか、とても親しみを覚えた。好きなものは否定しちゃいけないよね。
- 技術は目的ではないけれど、表現するためには必須であり、ある意味、詰め込み的な教育は必要である、と。(ただし嫌々やるものではない)。なんだろうな…習得に時間がかかるとか、実際にやるときに手間がかかる技法ってあると思うけど、同じことが表現できるんだったら、素早く手軽にできればそのほうがいいよなあと思った。
- これ作るの大変だっただろうな、とか、制作の苦労・苦痛・手間を感じさせる作品を否定していることが、だいぶ衝撃だった。そういうので人を唸らせるのは違う、と。分野はいろいろあると思うけど、けっこう、これ自分やってたなあ。
そんなこんな。何度も読みたくなる素晴らしい本です。
・・・
さて、ちょうどAmazonから下の本が届いたから、次はこれを読んでみよう。
どうなることやら。
MVNO乗り換え。
村上隆のスーパーフラット・コレクション トークイベント
鷹楠です。
横浜美術館で開催している「村上隆のスーパーフラット・コレクション」。
そのトークイベントに参加しました。
村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで― | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館
この美術展は、村上隆さんが所有している美術品(のごく一部)を紹介する、というもの。
感想:
- 堂々とした村上隆さんにシビれた。「その道のプロ」とは、多くの試行錯誤と、絶え間ない努力の上に成り立っていることを、忘れないようにしよう。
- コレクションは、その背景にあるストーリーを知ることなしに意味をなさない。だから、なぜそこにあるのかということから考えるべきだ。例えば、呼継茶碗と鼠志野茶碗が並べてあった理由や、雑巾の背景についても。
- 美術品を集めることの大変さ。お金があっても買えないものばかり。だから価値がある。なぜ価値があるのか、何に価値があるのか、いまいちど考えよう。
- 礼儀とは、取り繕うことではない。根底にある気持ちをきちんと育もう。
- なぜ作品点数が多いと美術館は大変なのか、それはひとつひとつについて調査が行われるから。当たり前のことかもしれないけど、いままで考えたことがなかった。調査して初めて脚光が当たることもあるのだから、眠っている作品は数知れないんだろうなあ。
村上隆さんについては、森美術館で開催中の五百羅漢展で初めて知って、考えていることの壮大さに圧倒された。
村上隆の五百羅漢図展 ::: 2015年10月31日(土) ― 2016年3月6日(日) ::: 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
さて、芸術とは何ぞやということに興味がわいて、こんなものを読み始めた。
Amazon.co.jp: アート・スピリット: ロバート・ヘンライ, 滝本 誠, 野中 邦子: 本
読み終わったら、これも読んでみたい。
芸術起業論 | 村上 隆 | 本 | Amazon.co.jp
どうなることやら。